<< 鴻巣市の財政は健全なのか その2 | main | 東京電力蠅悗稜綵金請求状況 >>

いじめに強い教育とは

0
    先日8月20日の記事に対して多くのご意見をいただきました。
    その中で 「いじめに強い」とはどういう意味か?という投げかけがあり、その方のコメントは思慮深いものでした。
    <コメント参照>↓
    釈迦に説法でしょうが。
    報道で見聞きするいじめ自殺事件の原因となるいじめは、多くの場合複数によるものです。陰湿・悪質・執拗で、それに対して個人の強さで対抗しろというのは酷に過ぎるように思います。
    対抗できる仕組み、学校においては校長室や保健室が逃げ込める場所になっているとか、家庭においては両親のこどもの悩みを聞こうという姿勢であったり、地域においては隣のおばさんや近所のお兄ちゃんの存在であったり(これが現在では一番難しいか)、そういった社会的リソースが必要でしょう。
    そしてそれらを利用できる、言い換えれば逃げ込むことをためらわない、ひとりで抱え込まない柔軟さが実は強さなのではないか、などと思うところです。
    しかしそれがかえっていじめをより激しくしたり、救うべき立場の教員が機能していなかったり、ひどい場合はいじめる側に回っていたという事件も有り、何とも暗然たる気分になることもあります。
    8月23日 12:20  <コメントは以上>

    私もずっと学校教育の中にいじめに強い子供を育てる内容を盛り込むということは果たしてどういうことなのかと考えておりました。
    そのような観点で、このところ自殺対策について学んだり体験してきたことから現時点での考えをまとめてみようと思います。

     このテーマを思いめぐらしていた時、頭の中に浮かんだのが、先日桶川市民ホールで開催された若者の自殺防止研修会で講師が話していた「他国と比べて日本人に若者の自殺が多いのは価値観の違いから」という言葉でした。もちろんこの一部分だけを一人歩きさせるつもりはありませんが、その後ずっとこのことが一体どういうことなのか考えていたのです。講演会の内容については8月8日の私の活動報告ブログ<ここをクリック>で報告しています。その時も、この言葉が自分の中で消化不良になっていると書きました。
     その後、先日報告した教職員全員研修会のいじめ問題の講演を聞いて、いじめから自殺に至ってしまう心の変化について自分なりに考えてきました。「自分の価値」っていうことかな?その時感じたのです。これが結論であるかどうかはわかりません。けれども、いじめに合って、辛い思いをして、自分がこれまで持ってきた自分の価値をどんどん削がれて行って、自分に価値が感じられなくなってしまったとき、死を考えるのかもしれない。と思いました。
     先日京丹後市の自殺対策を視察した際、同志の議員と意見交換した時も、障害者や精神病の方々は自分がいることで家族や廻りの人たちに迷惑をかけていると思い込み自殺に至るケースが多いとも聞きました。
    自殺の原因を分析するとき、もちろん原因は一つではないのですが、常に上位に来るのが健康問題となっていて、自分の将来に対する不安。と同時に自分のまわりの人たちに迷惑をかけてしまう。という精神状態が想像されると思いました。

    その日本固有の「価値観」というのは「自分がまわりの人に迷惑をかけたくない」ということなのだろうか。と思い巡らしています。
    もしそうであるならば、学校においては保健室や校長室がいじめシェルターとなることにより、そこでその児童生徒の価値をしっかり認めてあげることが重要な施策になるはずです。
    しかし、社会に出た時にどうなるか。シェルターはなくなります。抵抗力が弱い大人ではやっていけないだろうと想像されます。事実、若者の死亡原因の1位が自殺であるという現状はその裏付けのように思われます。自信の創出とか、自立心や社会性を身につけることは社会に出る訓練であり、決して予備校などでは教えられない、家庭や学校で体得すべきことなのだろうと思います。
    それでは具体的にどのようにするのか。これがこれからの課題です。

    ちなみに私の家庭では、(正しいかどうかは別として)いざというときに「こうのすコロッケ」を自分の手で作れるように家業を手伝わせています(本当は手伝ってもらっている)。一人で生き抜くためにコロッケを作って販売できるスキルを身につけています(半ば強制的に)。アルバイトなどで積極的に自分の能力で稼ぎ自立することを薦めています。また、就職だけが社会人ではない。自分で仕事を作り生活の糧を得ることも薦めています。(なかなか親の言う通りにはなりませんが)受験や挫折も自己責任です。ただし、迷って決められなければ親(私)が決めてあげるよ。というのですが、親に決められるのは嫌なようで、大概は自分で決めています。最後の救いとしてつけしんに就職してもいいんだよ。とも言います。(あまり気が進まないようですが)
    おそらく(成人している)我が子らも将来に対し悩んでいると思います。親としての私の願いは問題を乗り越えて進んでほしい。問題解決能力を身につけてほしい。ということに尽きます。

    「問題解決能力」これがキーワードとなるでしょうか。
    何になったから安心ということは一生ないのでしょう。それよりもどんな状況になっても前進する。何度転んでも立ち上がるという経験や精神を体得することが子供のうちに学ぶべきなことかもしれません。
    のもと恵司 * 教育関係 * 18:56 * comments(4) * -

    コメント

    臼田さん
    コメントありがとうございます。
    より早く、より効率よい成果を上げるチームワークづくりというのは、社会性を育てる上で大切なことですね。お互いに助け合うことで達成できること。私たちもそうしたいと思います。
    Comment by nomotokeiji @ 2013/08/30 6:54 AM
    私は、若い頃子供会の手伝いをしていました。この経験から言いますと、キャンプに2泊3日で子供を連れていき、集団生活を朝から晩までさせ、食事も御飯だけはありますがおかずも少ない生活をさせますと、ささいなケンカはありましたが、保護者も一緒にいたせいか、なにもかも自分でやり助け合わなければいけないのか、現在子供たちは50歳前後になりますが、たくましく生活をしています。
    同じ釜の飯を食べたからですかね。参考まで。
    Comment by 臼田 喜之 @ 2013/08/30 4:24 AM
    かずさん
    コメントありがとうございます。
    模索の連続ですが、実行あるのみだと思います。
    完全な形なんてないのでしょうけれど、より良いもの、方向へ1歩でも進みたい。そう思っています。
    Comment by nomotokeiji @ 2013/08/29 11:10 PM
    まずは家業の手伝いからですよね!私も訳も分からず家業のお手伝いをさせられていました(笑)。今にして思えばそこから社会との繋がりを勉強出来たのかもしれません。
    「問題解決能力」というと私は中教審などでよく言われている「生きる力」を思い出します。私は「人生の壁にぶつかった時に、自分で問題点を見つけて判断し、問題を解決できる能力」がすなわち「生きる力」だと認識しています。この力は家庭や学校だけではなかなか養えないと思っています。そこには自らが解決するための高い壁が無いからです。
    今の子供達にはもっともっと体験型の学習・・・冒険が必要だと考えています。そこで、壁、問題、目標をクリア達成することで自信や耐性そして生きる力の醸成が出来るのではないでしょうか。
    3姉妹にはこれと言って何も出来ませんでしたが、今年生まれた長男には剣の道に投げ込もうかと思っています。それと、家業の手伝いも(笑)
    「家業の手伝い」とても素晴らしいと思います。



    Comment by かず @ 2013/08/29 10:32 PM
    コメントする









    このページの先頭へ